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shiranegakudo

流行りの「多様性」について考えてみる

 僕は青年海外協力隊として南アフリカで暮らしていました。

 南アフリカは世界で最後まで人種差別政策を続けていた国です。そんな国に住んでいた私が多様性について感じたことを書いていきます。


 現代において、多様性が重要だというのは耳にタコができるほど聞いていると思います。しかし、具体的に多様性について考えるというのはどういうことなのか?

 これは、他の国に比べて単一的な文化の日本においては難しい話なのかもしれません。だからこそ、書いてみようと思うのです。


 私が住んでいたのは2015年から2017年2間である。当時27歳だった僕は、海外旅行はほとんど行ったことがなく、はじめての海外経験が南アフリカ共和国だったと言っても過言ではありません。

 そんな僕は、南アフリカの生活で様々なことを感じました。私の南アフリカに対する最初の印象は、世界の国の中で1番最後まで人種差別政策をしていたのは南アフリカ共和国で、どの国よりも人種差別について高い意識を持っているではというものでした。南アフリカは、ネルソンマンデラと言う英雄の存在が大きく、僕が南アフリカに入ったときには、既に亡くなってていたが、それでも手伝いな人気を誇っていました。

 

 そんな南アフリカなのですが、田舎町を歩いていたらびっくり。明らかにアジア人を見下したような態度を取るのです。その原因になっているのは中国人ではあったのですが、それにしてもひどいと感じました。

 もちろん日本人の見た目と言うのは他国の人から見れば、中国人なのか、韓国人なのか判別することはとても難しいのです。と言うのは、私たち日本人から見て、肌の黒い人たちがケニア人なのか、タンザニア人なのか、コートジボワール人なのかさっぱり見当もつかない。

 

 そんなことがあった僕は、英語をある程度習得してからは、そのような差別的な対応してくる黒人に対して、論破をしていきました。

 内容としては「君たちはアパルトヘイトと言う歴史があるにもかかわらず、僕に対してそのような態度を取るのは、アパルトヘイトを繰り返してるのじゃないか」「僕は君たちのことが見た目だけではどこの国や地域の人かわからない。だからといって君たちのことをブラックと呼んでいいのか」このような話をし、その話をされた黒人たちは、僕に謝罪をしました。僕がしたかったのは、彼らが謝ってくれることではなく、人種や国籍などではなく、1人の人間としてそれぞれが扱われるような社会になってくれるようにと願っていました。

 

 とはいっても、僕が2年間で何か南アフリカに圧倒的な変化をもたらせることができるはずもなく、2年間の南アフリカ生活は終わりました。


 そんな思いも含めて、これから多様性について考えていきます。

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